「おいでよ どうぶつの森」が流行ったのは、記憶が正しければ2006年くらいの出来事。その頃私はゲームコミュニティにいて(つまりなつげだ)、みんなこぞって「おい森」をやっていたものだった。
それまでどうぶつの森シリーズのプレイ経験がなかった私は、友達から聞く「もりのなかのどうぶつたちとのくらし」に憧れて、DS本体ごと購入するに至った。デカく厚かったnintendo DSにもLiteという薄くて軽くて色がカワイイハードが登場していて、予約しなければ買えない…いや、予約するのさえ困難な状況だった。その品薄さでさえ「おい森」の面白さへの期待感に拍車をかけた。
ついに入手できた私は「むらでのくらし」に夢中になった。家を大きくすることにまい進し、借金を返済し、季節ごとの虫捕り、釣りに精を出し、隣人との関係強化を図り、花は誰の家よりもうちの周りを取り囲むようにし、珍しい花が咲いたら鉢植えにして枯れないようにコレクションし、住人が欲しがるだろうと思うものをプレゼントとして周到に用意し、ホンマさんからの話は頑なに拒否した。幸い周りにはおい森プレイヤーが困らないくらいいたので、フルーツのコレクションも集まった。
つまり、全力投球でした。
悪い癖で、ハマると生活を圧迫するくらいゲームをやりこむ。オトナが一番やっちゃいけないパターンだ。子どもだったら親がとめてくれる。学校にゲームなんか持ってっちゃいけない。でもおかあさんは死んじゃったし学校もいってない。
やめるキッカケになったのは、奇しくも「おい森」の中のある住人のことだった。名前は「キャラメル」ちゃんといった。白くてベージュのぶち犬だった。
住民のタイプはいくつかにわかれていて、女の子だったらおてんばきゃぴきゃぴ、奥ゆかしい引っ込み思案、それからあと確かツンデレ系(だっけ)。キャラメルは奥ゆかしい系。「おい森」の住人は移り気で、ある日ふと思いついたように荷物をまとめ、ふらっと村を出て行ってしまう。運が良ければ戻ってきたり、通信したことのある友達の村に移住していたりする。でも、基本的にはふっとどこかに消えてしまう。彼らは混沌としたデータの海に還ってしまうのだ。2日空けると危険信号。そのことも毎日村に行く動機になった。
プレイを始めてどれくらい経過したか…確実に季節は一巡していた。もしかして二巡近くしていたかもしれない。飽きかけてもキャラメルちゃん、あと水やりを怠るとすぐ枯れてしまう花のために毎日通いつめた。でも、どうしても忙しいことってあります。他に面白いゲームだって出てきます。飽きかけのゲームなんてただの義務です。水やりをしてキャラメルちゃんに話しかける「10分間」これを数日間どうしても取ることができず、キャラメルもまた……広いデータの海に還ってしまいました。キャラメルは、わが「ナチュラル村」の創始メンバーでもありましたが、彼女がいなくなったことで村がもぬけの殻になり、私をおい森につなぎとめている縄が外れ、完全に終わりを迎えました。
そして終わった後がまた恐怖です。仮にまた今起動しても、花は枯れ、家にゴキブリが這い回り、村の住人は全然知らない人に入れ替わって村の風景は一変していることでしょう。ひと時は寝る間も惜しんで手がけた村です。だれがそんな寂れた村を見たいでしょうか。見たくありません…見たく…ないかな…どうなってるかな…ちょっと見てみる?…やめとけって…ア



やっぱいるよねーゴキブリー

あっ、この左側の写真がキャラメルちゃんです。どうも〜

オープニングを見た時は、前回起動時のデータが一瞬有効なのか、花が枯れておらず「あっ…またやろうかな」と思いましたが、今また完全に心は閉じてしまいました。。
つまり、私は「おいでよ どうぶつの森」ですっかり疲弊してしまったのです。もうお腹いっぱい。また、当時のコミュニティは潰れ、身の周りの環境も一変してしまいました。ここまで長々と書いてきましたが、私には前作「おいでよ どうぶつの森」が、それを取り巻く環境ごと一つの時代で、それが終わりを迎えてしまった、ということなのかもしれません。